kind of obstacle

これはもう本当に 当たり前すぎることなんですが
日本以外の場所で生活する中で 例えば自己紹介をするときに
名前の後には必ず Japan か Japanese と言うわけで

Japan か Japanese は私の名前の次に 私のIDみたいなもので
 もちろん 切っても切り離せないもので

私はこのIDに
得をする時もあるし
損をする時もあるし
私はこのID抜きに 私個人から 興味を持って入ってきてほしいな といつも思うのですが
人が 外見や肩書や固定観念で 最初に何かを判断するように
それは 本当に難しい

毎回このJapanやJapaneseに対する 他者からの
偏見や先入観を 崩したり それに従ったりして生活しているわけですが
時に 歯がゆく おっくうでもあります

でも
この 崩して お互い理解していく作業を おっくうがっていると
私は Nao ではなく JapanやJapanese のままなのでしょう

仲のよい友人や先生は 私をよくからかって 
un-japanese japaneseと呼ぶのですが
私は この japanese が意味することが 未だによく分からない時があります

いや ただ 本当に
固定観念や偏見や先入観は 時に 真実が見えなくなってしまう
目の前にあるのに 全く見えなくなってしまう
私はそういう 人間になりたくないのに 気づかないうちに 

冷静に 自分が 何を身につけていくべきか 何を産み出していくか どう物事をとらえて考えていくか
と自分に問いたださなければ
いとも簡単に 形を変えていってしまうでしょう 

周りの 友人や家族ではなく あふれる情報ではなく
自分の心で 決めなければいけないことを

いくつか リンクを
7 things you will learn about yourself by moving abroad

"The single story creates stereotypes, and the problem with stereotypes is not that they are untrue, but that they are incomplete. 
They make one story become the only story.” (Chimamanda Ngozi Adichie )

上記のスピーチは 本当に力強く 素晴らしい